2019-03-13 第198回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第2号
野田市長、佐々木市議会議長等の案内を受けつつ、スタジアムを視察しました。 野田市長からは、これまで世界中からいただいた支援に対し、被災地を代表し、ラグビーを通じて感謝を伝えたいとの意向が示されました。
野田市長、佐々木市議会議長等の案内を受けつつ、スタジアムを視察しました。 野田市長からは、これまで世界中からいただいた支援に対し、被災地を代表し、ラグビーを通じて感謝を伝えたいとの意向が示されました。
続いて、釜石市に移動し、震災時に避難所の役割を果たした日本料理の店舗である幸楼において、野田市長及び金沢若おかみから、震災直後の状況や釜石市の復旧・復興状況等について説明を聴取し、懇談を行いました。 二日目は、まず釜石港を視察しました。同港は震災の五日後には港湾機能の一部を再開し、平成二十三年七月には国際フィーダー定期航路が開設されております。
例えば野田市のホームページに、国に提出した野田市長による意見全文というのが載っておりまして、そのうち抜粋させていただきますけれども、健康調査については、発災当時に被曝したことにより将来の健康について懸念しているために求めているものであり、その後に空間放射線量が低減したとしても不安は解消しないことから、法の目的である被災者の不安の解消及び安定した生活の実施に寄与することに対する国の取組の姿勢が欠けていると
そうしたら、本当、申し訳ないんですが、えらくタクシーの運転手の方が、八女に行ったときに野田市長はどうですかということを聞いたら、褒めておられましたよと、タクシーの運転手さんが。そうしましたら、何だと聞きましたら、いや、野田さんはちゃんと公私を分けてそのチケットを使っていると。
これ、なかなか釜石の野田市長も判断迷ったんですね、復興の途中なのに、そんなラグビーなんか招致していいのかと。でも、私はもう絶対やるべきだというふうに言いました。あそこの鵜住居の何にもないところにこれから仮設スタンドを造っていきます。これはやっぱり復興の一環だということで、当時は私、地元だったということもあったんですけど、そういうスポーツをセットで復興をやろうということは言ってきました。
野田市長を初めとしまして、関係者の皆様のこれまでの御尽力に敬意を表しますとともに、これまで応援していただいたワールドカップを成功させるための議員連盟の皆様を初め、関係者の皆様に私からも心より感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございます。 こうしていろいろな方から応援していただけるのは、今、被災されて復興に向けて頑張っている方々にとって大きな励ましになると思います。誇りにつながると思います。
二十一日の参考人質疑でも、釜石市の野田市長が、防災センターという名前が誤解を生んでいたんだ、市民も、日ごろから避難訓練を行っていたこともあって避難場所と勘違いをして、私もそこを見てきましたけれども全壊で、大きな犠牲があったということが述べられました。 ですから、今回、あらかじめ指定をし、そして同時に周知をしていくということが本当に大事だと思うんですね。
現場には行っておりませんし、その中で、御遺体、先ほども野田市長の方からありました。「遺体」という映画を私は拝見させていただきました。その中において、体育館の中に御遺体が運ばれてくる。それを歯科医師の方々が歯形をもって検視をしていく、あの実情、現状、これが国民の皆さんに本当に伝わっているかというと、なかなかまだ伝わっていない部分もあるかと思います。
○小宮山委員 同様に、その制度に関しまして、被災地の現場である野田市長さんにも伺わせていただければと思います。 現場の判断として、大変だったこととかがありましたら、また、どういった支援組織があったらよかったとか、そういったこともちょっとお聞かせいただければと思います。
岩手の場合は、被災地十二市町村、それから縁があって住田町という町が一緒になって復興期成同盟会をつくりまして、会長は釜石市の野田市長であります。 私も自治体からここに来た人間でありますので、災害の現場は自治体にあるということで、私の方からいつも行っておりますし、岩手の場合は、私も改めて、副大臣になったということで、十三市町村の期成同盟会と懇談会をやるような形になっております。
釜石市においては、釜石市役所を訪問し、野田市長から、被災状況と復興まちづくり基本計画及び住民との調整状況、釜石市の雇用の状況と雇用創出事業等の支援策、生活応援センターによる訪問活動等の被災者支援のための取組について説明を聴取し、あわせて、企業誘致のための土地造成への支援、高台移転に当たっての補助事業制度の柔軟な適用等について要望を伺いました。
釜石市の野田市長、こうおっしゃっているんです。市内にある風車や火力発電施設を非常時に活用できなかったのは大変もどかしかったと、そう振り返っておられました。
壊滅的な被害を受けた釜石市の野田市長が、夜行バスに乗ってわざわざ来ていただきました。この同じ質問を釜石市長にさせていただきました。 当座の生活資金としての義援金の配分は、被災した方々が一様に望んでいることだと思います。既に被災から一カ月がたちました。着のみ着のままで逃げて、下着もそのままという人もいると思います。そうした方々にきちんと国の思いが伝わるような政策が必要だと思います。
○柿澤委員 きのう、釜石の野田市長がおっしゃっておりましたけれども、今はまだ被災地の状況は復興という言葉を語れるような状況にありません、しかし、復興という言葉を語らないと前には進めませんというふうにもおっしゃっていました。 現地の被災地の状況は、まだまだこうした、本当に基本的な人間の生活にかかわる部分が十分に一定の水準まで到達をしていない、こんな状況の中で一カ月間以上の生活を強いられている。
現場で大変忙しい中、きょうは釜石市長にも来ていただいていますけれども、国、県、市が、今後の復興の計画をつくるに当たって、どういう分担で進めていくのがいいかということについて、ちょっと時間がなくなってしまっているので、泉田知事と野田市長からお願いします。
特に釜石市長の野田市長さんには、今回、本当に震災対応の大変な中、お越しをいただきました。 実は、きょうの十二日の参考人質疑が最初に議論をされたときは、被災地からは一人もお招きをしないという方向性で議論をされていたと思います。
次に、野田市長さんにお伺いいたします。 現在の釜石市の自治体機能の状況はどうなっているんだろうかということが一つ。そういう状況の中で、現在最も緊急に取り組むべき課題は何なんだというふうに野田市長さんは考えておられるか、お聞かせください。
せんだって、予算委員会の参考人でも、千葉県の野田市長さん、自分の実情は本当は言いたくないんだと言いながらも、野田市としての状況のお話があったんですが、これを全国、全体にしたパネルを持ってまいりました。地方の借入金残高。国が六百八十兆、地方が二百兆で云々とよく言われる、地方が二百兆、二百兆と言われる借入金の残高の推移であります。
これは、もとより、野田市長と同じように血のにじむような行財政改革をしてきたこともその原因でありますが、政府の地方財政対策の効果が出たものと思っております。 ただ、将来が不安定です。
最後に、野田市長に伺います。 きょうは、保育所の運営交付金のことをお取り上げいただいて、大変心強く思いました。 と申しますのは、私は小児科医なんですけれども、子供の施設をつくるところにかかるお金じゃなくて、運営していくためにかかるお金の方が、例えば一つの園で三千万円とおっしゃいましたが、大変に地方にとっては負担が大きいと思います。
したがって、市民の意識改革からスタートをして地方財政の改革をしていかなければならない、地方はそのような思いで、先ほどの野田市長さんと同じように、職員数の削減、職員の給料の削減、あるいはいろいろな意味の民間の力を活用しながら頑張っているところであります。 したがって、国の方でも、市民、国民からの信頼をかち取れるような財政の将来展望をお示しいただければありがたいな、このように思っております。
大変大事な御指摘だと思います、その野田市長さんのお考え。 私たちは、基本的に、現金給付は中央政府、それからサービス給付は地方政府。今おっしゃるように、地域の実情、子供たちの実情をわかった人たちがサービス給付をすべきだ、だから、そこをチェンジしようとしました。
野田市長のすばらしいところは、労働者の貧困が軽減されると思えば大した負担ではないと、こう言われたところにあります。しかし、残念ながら公契約条例の制定は必ずしも増えていないのが現状でありまして、逆に議会においては否決されたところもあると聞いております。
千葉の野田市に出かけまして、野田市長様、また東京の江戸川区長さんにもお出ましをいただき、それぞれの取組やお話を伺いました。もちろん、八ツ場の話も出たわけなんですが。
大変大事な御指摘だと思います、その野田市長さんのお考え。 私たちは、基本的に、現金給付は中央政府、それからサービス給付は地方政府。今おっしゃるように、地域の実情、子供たちの実情をわかった人たちがサービス給付をすべきだ、だから、そこをチェンジしようとしました。
野田市長さん、私もよく存じ上げておりますが、なかなかのアイデアマンでございますし、大変御協力をいただいて感謝を申し上げているところでございます。 おっしゃいましたように、やっぱりそういう、何と申しますか、人脈が非常に多い人というのは大変な力を発揮されるんですね。